http://ragd.sakura.ne.jp/q_and_a/cbbs.cgi?mode=al2&namber=31015&rev=&no=0
ちょうど今それのレポートを書いていたので、私の見解を・・・。

学歴社会とは何か。
そもそも学歴とはタテの学歴とヨコの学歴に分類することができる。
タテの学歴は、いわゆる「中卒、高卒、大卒・・・」
ヨコの学歴は、「一流大学、二流大学、三流大学・・・」
同じカテゴリーの中でさらに「理、文、商・・・」と分化する。
職業配分の原則(能力に見合った人材配分を行う)に則り、
「能力」を「学歴」に置換したのが、いわゆる「学歴社会、学歴主義」である。

このような社会においては、
「学校教育を受けることで、職業に必要な技術、知識を身につけることができる」
という前提が確立せねばならず、
教育は常に全ての人間に平等に施されなければならないが、
果たして本当にそれは現代の日本において当てはまるか。

現状、日本の学校教育は決して平等とは言えない。
教師によって指導方法がバラバラであり、その時点で既に平等さは崩壊している。
また、「塾」という存在そのものが、
金に余裕のある家庭にアドヴァンテージを生むことにも問題がある。
日本ほど、教育システムが整っており、
国民的に生活水準が安定している国はそうないはずだが、
その日本ですら、教育に平等さを作り出すことは出来てはいない。
この事実を日本は社会的に隠蔽し、合理化を図ることで
強引に学歴主義を確立させてきたと言わざるを得ない。

さて、上のアドレスの掲示板では
「受験勉強のためにROを引退したが、どうか」
という旨の内容についての議論がなされているが、
学歴社会について問題を呈する記述がほぼ見受けられないことに
私はショックを隠せない。
私は教員志望で教育大学に入ったが、今この問題について教授の講義を聴くたびに
自分の教員への熱は冷める一方である。学校は一体何のためにあるのか?
教育に平等さを求めることは、既に日本が高度情報通信社会に入った時点で幻想の域。

果たして間違っているのは社会か、学校か。この議論は、教育学会でも盛んに行われているが、未だ解決を見ない。国民的にこの議論はもっと交わされてもいいとは思うが・・・。